潜入!東大新聞
春。まだ花冷えのする4月6日、午後8時。
街灯もまばらな薄闇の本郷キャンパスを、僕は孤独にさまよっていた。
なんだよ、ソレ。
国内最高学府の洗礼というには、あまりにサエない肩透かしを食らって、僕は一人、とぼとぼ歩いていた。
あれほど苦労して、難攻不落の東大に受かったのに。
胸は希望でいっぱい、頭にはサクラの花を咲かせて、初の授業に臨んだのに。
恥ずかしながら、人生の後半戦、いやロスタイムに突入したオッサンが──。
それなのに、記念すべき一発目の講義は休講。そうとも知らずに、誰も来ない教室で僕はぽかんと1人、15分も待ちぼうけていたのだ。
「あのー、今日、授業ないですよ」
流暢な日本語で教えてくれたのは、たまたま立ち寄った中国人留学生。優しく親切で、ちょっと憐れみを含んだ言葉は、すぐさま脳内でこう翻訳された。
「大丈夫かな?この人?」。
ちなみに、その講義は「リスク・コミュニケーション」と銘打たれていた……。
残念ながら入学早々、僕はリスクを回避できなかったことになる。自分の情報弱者ぶりが、情けなかった。
ひょっとして、このまま大学デビューに失敗するのか?
孤立。隔絶。ぼっち感。そしてよぎる不安。もちろん、必要以上に落ちこんだのは、生来のひがみ根性が、勝手に事実関係を歪めているだけなのかもしれないけれど……。
それでも夜までキャンパスに居残ったのには、ワケがあった。東大に合格したら、どうしても成し遂げたい野望があったのだ。
東京大学新聞。
僕の夢は、この新聞の編集部に入ることだった。
だって、考えてもみてほしい。全人類がスマホを握り、指一本で高速スワイプするデジタル全盛の今。なのに、知のてっぺんにいる東大生たちが、わざわざ紙の新聞を刷っているというのだ。
この時代に、あえて紙だって?
それも、各月5000部も!?
デジタル世界の先端を走るエリート✕「紙」の新聞という絶滅危惧種
この異色のマリアージュ、ただごとじゃない。
紙好きの僕としては、どうにも興味をそそられた。
そして、この日の夜、東京大学新聞(以下、東大新聞)は、週に1度の編集会議を開いているという。そこにおジャマしよう、と僕は考えていた。

東大新聞のアジトまでは、さながら観光見物。
あの有名な赤門(今は工事中)のそばを通りすぎ、イチョウ並木通りの石畳の硬さを足の裏に感じ、安田講堂の脇をすり抜ける。いよいよ夜の闇は深まり、知の府というよりは肝試しの名所を歩くようにして、突き進んだ先のどん詰まり。
東大新聞の部室は、築90年超(!)の本郷第二食堂の2階にあった。
ひんやりとした石造りの螺旋階段をのぼり、鋼鉄製ドアノブを回すと、目の前に広がったのは──。
地層のように積みあげられた古紙たちの山。ところどころ剥がれたままの壁紙。古いスチール棚にぎゅうぎゅうに押しこまれたファイルの束。
そんな、まるで昭和の時代にタイムスリップしたかのような世界観と対照を織りなすように、令和の若い東大生たちがアハハと笑っていた――。
ああ、この新聞に参加したい!!!
その光景を見た瞬間、僕の背中には花冷えとは異なる種類のゾクッとした震えが走ったのだ。
全国紙から東大新聞へ 昭和から令和へ 新聞記者の逆コース
恥ずかしながら、僕は現役の新聞記者だ。それも学生新聞ではなく、全国紙の方の。
21世紀の始まり、2001年に入社して、それからずーっと記者をしていて、気づけば記者歴は四半世紀に及んでしまった。すっかりオジサンである。もちろん、生まれは昭和。
ただ全国紙の新聞社といっても毎日新聞だから、悲しいかな販売部数は朝日、読売に大きく水を開けられている。そして僕自身もスクープを連発するような気鋭のジャーナリストとは、ほど遠い。社内のすみっこに文鎮のごとく鎮座し、炎上記事を書くこともない。まあボチボチ、といった具合で地味な記事を書いている一兵卒にすぎない。

読者の方々もご存知のように、この四半世紀、大手マスコミは時流に押し流された。
僕が入社した頃は、ようやく記者一人一人にノートPCが行き渡った時代。フィルムカメラも辛うじて残っていて、古参のブン屋気どりの記者は、あえてフィルムで撮っていた(支局にまだ現像室があった!)。デジタル化の兆しはあったが、それでもまだ、昭和の余熱は冷めていなかった。
ところが2000年代初頭からは、一気にジェットコースター。デジタル化の大津波が押し寄せて、スマホとSNSが世を席巻。「鉛筆一本」の美学は、「オールドメディア」の寒々しいイメージへと凋落した。そして挙句の果てに、生成AIという化け物まで登場した。
当然、新聞の購読者は高齢化、そして右肩下がりで減るばかり。
業界全体が内憂外患に巻き込まれて、だれも先行きがわからなくなってしまった。そう、今は多くのプロ記者が、迷子になってしまっている。
だから、というわけでもないけれど、この稼業も先細りするのか……などと悩み、思いきって僕は東大大学院情報学環・学際情報学府という名称からして小難しい大学院を受験したのだ。そして「サクラサク」のまさかの吉報に、小躍りしていたところだったのだ。
新聞という業態が、苦しい戦いをしているのを肌で感じる日々。そんな経緯もあったものだから、こういったらナンだけど、アマチュアの学生がつくる東大新聞の存在は、僕にとって大いに謎だった。
令和の時代に、なんでわざわざ紙の新聞を刷ってるんだ?
一体、どんな酔狂な学生が集まって記事を書いてるの?
今どきの東大生にとって、何が「ニュース」なんだ?
いやこれ、もしかして大学新聞ってのは世を忍ぶ仮の姿で、宗教かなんかのダミー団体だったりするのかな?
あれやこれやと疑問、はたまた妄想が浮かんでは消え、消えては浮かび、頭のなかは無限ループ状態だった。
でもせっかくならば、というか、かなり好奇心に引かれて、というか何なら野次馬根性も手伝って、東大新聞に入りたいという野心が湧いてきたのだ。たとえ迷子であろうとも、なにより僕は、「紙の新聞大好きオジサン」でもあるのだから。
東大新聞という小宇宙(コスモ)、やっぱりプロ記者として、のぞいてみたい!その気持ちが抑えられなくなったのだ。
とはいえ、こちらは大学を卒業して四半世紀も過ぎた中年だ。一方の相手は10代後半から20代前半、若いZ世代の学生新聞だ。しかも賢いエリート集団である東大で、あえて新聞記事を書いているんだから、変わり種に違いない。世代もIQも異なる面々が、はたして入部を認めてくれるのか。
アンタ、マスゴミの一員だろ。
オールドメディアなんてお呼びじゃない。
ロートルが入ると風紀が乱れるのでお引き取りを。
若い人から見たら、全国紙の新聞記者なんて肩書は、所詮ゲーセンのメダルみたいなものなんじゃないか。狭い世界から一歩でも外に出たら、何の価値も持たない勲章をぶら下げて歩いてる痛いヤツ、みたいな。
社会人になっても気弱な僕は、若い人に鼻で笑われないか、不安でいっぱいだったのである。
ふだんは政治家だろうと学者だろうと図太く取材ができるのに、僕はおもいのほか、おそるおそる東大新聞の門をたたいた。もし入部を断られたら、きっぱりと諦めよう。それが大人の分別だ、などと覚悟しながら。
ところが、この夜、東大新聞は僕の入部をあっさりと認めてくれた。そして、少なくとも編集部員の一部は、とても快く歓待してくれた。ちょっと前まで休講で1人、ぽつねんとしていた僕を温かく。プロ記者、この感じ、長らく忘れてたわ。思わぬ学生の優しさに、揺さぶられちゃった。
これが僕の東大新聞記者人生のスタートだった。

××
今春、東京大学大学院情報学環・学際情報学府に入学しました。東大新聞OBの新聞記者は過去にいるようですが、新聞記者が東大新聞に入部したのはおそらく初めてとのこと(東大新聞編集長談)。全国紙の「古株」にして、学生新聞の「ド素人」と、逆コースを進む記者が、令和の知のジャングルを切り開き、東大新聞の魅力、そして東大の不思議やリアルを伝えていきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
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プロ記者、東大新聞に入る。 2026 IUSTITIA.BG – Investigations 2009-2025 2026-06-16 02:00:36
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